活動報告4(第十三回~特別企画)

~常陸国・防人達の軌跡~

鹿島神宮と

桜花復元機、予科練平和記念館

平成30年10月14日(日)9時~16時

常陸国旅立ちの日に鹿島立ち。
神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられている、悠久の歴史を刻んできた名社・鹿島神宮へ参拝させていただきました。

今回の水戸、佐原の旅では、大いなるご神恩をいただき、沢山の素晴らしい奇跡があり、神様に御守りいただいている事を強く感じました。
佐原にてお天気に恵まれたのを始め、4泊5日の旅を通して、天がお味方をしてくださいました。
鹿島神宮を訪れた日も、朝から雨が降っていたものの、私たちが神宮に到着した途端に雨が上がり、参拝中は雨が降らず、帰り始めると再び雨になりました。
一同、とても不思議な思いでした。

また、奇跡的な出会いもありました。
以前より楠公研究会をフォローしてくださっていたという北海道の石橋様と、なんと、鹿島神宮の御本殿前で偶然にお会いし、ご神縁の為せる技としか思えぬ出来事に、驚きと感激とで胸がいっぱいでした。

鹿島神宮のご祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、武の神として古くから皇室や藤原氏の厚い崇敬を受け、鹿島神宮の由緒は奈良の春日大社や東大阪の枚岡神社とも深く繋がっています。
中世になると、武士達からも厚い信仰を得、旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮で祈願する「鹿島立ち」の信仰が生まれたとの事で、武道とも大いに関わっています。

映画「サクラ花~桜花 最期の特攻~」の撮影で使用された特攻兵器「桜花」の復元機と、桜花搭乗員・沖田二等飛行兵曹役の佐久間悠さんが着用した衣装が展示されている神栖中央公園の西芝生広場へ。

映画「サクラ花」は、海軍神之池基地(神栖市・鹿嶋市)・内閣中央航空研究所鹿島実験場(神栖市)で操縦訓練が行われていた桜花を題材にした作品で、鹿児島の鹿屋基地から沖縄へ向かう機中の模様が描かれている。
映画の撮影は、神栖市、鹿嶋市、水戸市、行方市、阿見町など主に茨城県内で行われた事を記念し、ここ神栖中央公園で桜花復元機と衣装が展示されるに至った。

私も、拙会関東支部の方々から「サクラ花」のDVDを拝受し、作品を鑑賞させていただいた。

「桜花」は機首部に大型の徹甲爆弾を搭載し、母機に吊るされて目標付近で分離し発射され、その後は搭乗員が誘導して目標に体当たりさせる特攻兵器である。

その設計思想と費用対効果の低さにより今日の日本では余り評価されぬ桜花であるが、当時のアメリカ海軍では、鹵獲した桜花を徹底的に調査し、また被害艦の戦闘報告を詳細に検証しており、その結果、桜花を「もっとも危険な兵器」と非常に恐れ、アメリカ軍の砲手やパイロットらにとってこれまでに遭遇した中でも、最も手に負えぬ攻撃目標であるとして、アメリカ海軍を大きな恐怖に陥れた。
実際、アメリカの歴史家の第一人者で海軍軍人でもあったサミュエル・モリソンは著書で桜花について「小型なことと、とてつもないスピードのため、わが軍の艦船に対する最悪の脅威となった。それは、ロンドンを襲ったドイツの誘導ミサイルにほぼ匹敵する脅威となった。」と述べている。
また、太平洋艦隊司令チェスター・ミニッツ元帥も著書で「桜花は翼を持つロケット推進の爆弾で、爆撃機の機体から離れると、その後はパイロットにより目標まで誘導された。」と桜花の概要を記述している。
これらの事象から、当時のアメリカ海軍は桜花をして「BAKA」という蔑んだ呼称で呼んではいたものの、その呼称とは裏腹に、実際には桜花の存在感と、それに対する大きな恐怖感を窺い知る事ができる。

日本本土を空襲され、多くの民間人が無差別に殺戮され、恐らくは、家族や友人が犠牲となった軍人も多くいたと思われる。
平和な現在人に於いては、かような惨状は到底想像も付かず、その為、桜花の評価は様々であろうが、上記の事態からアメリカによる日本民族の根絶やしすら想定される様相であった当時の現状に於いて、民間人が虐殺されて尽くしていくのを、軍人が指を加えて見てはおれぬという思いを持つ人も当時に居た事は、決して理解できぬ事ではないと思うものである。

~合格しました
全く夢のようです
明日から兵隊ですから~

茨城県阿見町の予科練平和記念館を訪ね、自分が海軍中尉の娘であるという事を改めて痛烈に感じました。

阿見町は大正時代末期に、東洋一の航空基地といわれた霞ヶ浦海軍航空隊が設置された事を始めとし、その後は、予科練教育の中心としての特別な性格を受け継ぐとともに、長く海軍の町としての歴史を歩んできました。

海軍は、若年から技術を習得させ熟練した航空機搭乗員の養成をするため、昭和5年に、「海軍飛行予科練習生」(通称:予科練生)制度を設け、「横須賀海軍航空隊」の一隅に「横須賀海軍航空隊予科練習部」を置きました。
同年には、73倍という非常に狭き門を突破した第一期生が入隊することとなります。

後に「横須賀海軍航空隊予科練習部」は、予科練習生の増員等の理由により、昭和14年に「霞ケ浦海軍航空隊」に移転し、翌年には予科練教育を専門におこなう土浦海軍航空隊が設置されました。
これが「霞ケ浦海軍航空隊飛行予科練習部」の始まりとなります。

記念館は、館内のどこにいても予科練生達が憧れた空が見えるように工夫された、窓の多い近代的な建物となっています。
空に憧れた少年や大切な家族を守りたいと志願する者、苦しい生活の中ただただ勉学を続けたいと願った若者等、様々な思いを持って入隊した予科練生達の制服である「七つボタン」をモチーフとした「入隊」「訓練」「心情」「飛翔」「交流」「窮迫」「特攻」の7つの空間から構成されており、少年達の日常やさまざまな思いを克明に伝えています。
尚、記念館内は写真撮影不可でしたので、お写真ではお伝えできませんこと、御容赦ください。

予科練平和記念館に隣接する「陸上自衛隊土浦駐屯地」敷地内の「雄翔館」も見学。
航空母艦を模して建てられた「雄翔館」では、約1700点を超える予科練出身者の遺書・遺品等が展示保存されています。
予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿(れいじぼ)をおさめた「予科練の碑(予科練二人像)」を正面に配した庭園「雄翔園」も隣接しています。

今回の旅は、楠公研究会の関東支部の皆様のご尽力のお蔭で実現しました。
そして、佐原では、東関戸区の皆様からの温かい歓迎を賜りました。
この度の旅でお世話になりました皆様に、心から厚く御礼を申し上げます。
この研修旅行で学んだ事を今後の研究会活動にしっかり活かし、楠公を崇敬してくださる皆様、楠公を心の支えとしてくださっている皆様の為に、更なる研究会の発展の為に尽くして参る所存です。
皆様におかれましては、今後ともご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。


一般社団法人楠公研究会特別企画

~ユネスコ世界遺産認定

大楠公、小楠公の山車観覧~

佐原の大祭

平成30年10月13日(土)12時~20時

ユネスコ無形文化遺産指定の佐原の大祭、伝統の山車。
そして、佐原の重要伝統的建造物群保存地区の町並。
大楠公、小楠公の手拭いをお土産と致しました。

津田塾大学の学生さんからインタビューされました(笑)

中村屋商店は、安政2年(1855年)の建築。
3階建ての土蔵は明治25年(1892年)の大火後に再建。
明治7年(1874年)頃より代々荒物・雑貨・畳を商ってきた中村屋商店は、正面の交差した道路に沿った変形の敷地であるため、母屋の隅の柱を五角形断面にし、内部の架構に工夫をこらし、間取りも変形平面の部屋を設けるなどしている。
全体として一階に店舗と台所を、二階には座敷を設け、よくまとまった平面構成となっている。
平成5年(1993年)2月26日に千葉県の有形文化財に指定された。

楠公父子の手拭いがありました。

馬場本店で絶大な人気を誇る「極上白味醂」は、江戸時代後期より造り始め、現在に至るまでその製法、味を守り続けている今では数少ない旧式の手造り味醂。
もち米を原料に造られている。

馬場本店の煉瓦張りの煙突。

一部の酒蔵が見学可能

佐原の秋の大祭へお招きいただいています。
大楠公の山車を曳く東関戸区の皆様から、とても温かいご歓待を賜り、皆様のお気持ちに感激と感謝で胸がいっぱいでした。
東関戸区の皆様に心より厚く御礼を申し上げます。
昨日、今日、明日と、佐原は多くの観光客で賑わい、祭り一色に大いに盛り上がります。
お囃子「青葉繁れる桜井の」も演奏されました。

香取街道沿い伝統建築物保存地区の「茶屋花冠」の松本さんとの再会も、とても嬉しい時間でした。

松本さんは、年に数回、NHKにもご出演され、つい最近も「あさイチ」で究極の塩にぎりの作り方を伝授されたばかり。
この日も新しい素敵なご縁もいただき、喜びも倍増。
宮中の伝統に則ったお料理を、皇太子殿下や秋篠宮殿下がお過ごしになられた特別な方のみお通しいただける貴賓室にて、大変美味しく頂戴致しました。
いずれのお料理も絶品でした。

松本様、誠にありがとうございました!

千葉県香取市に鎮座する香取神宮へ参拝。
創建は神武天皇の御代18年と伝えられ、祭神は日本書紀の国譲り神話に登場する経津主大神(ふつぬしのおおかみ)である。

下総国一の宮で、伊勢神宮、鹿島神宮と並ぶ我が国屈指の名社。
楼門の掲額は東郷平八郎の筆から成り、本殿・中殿・拝殿が連なる権現造の社殿の黒塗りの姿が非常に美しい。

楼門前の「黄門桜」は、徳川光圀の手植えの桜と伝わる。

また、境内宝物殿には、国宝の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)や重要文化財の古瀬戸横涌釉狛犬(こせとおうゆうこまいぬ)、双竜鏡(そうりゅうきょう)などがあり、国・県指定の文化財だけでも200点余を所蔵・所有している。

これぞ、ご神威なのか。
午前中降り続いていた雨は、私たちが佐原に到着する直前に止み、そして、青空が顔を出し、遂には、燃えるような神秘すら感じさせられる見事な夕日が出現。
奇跡のような出来事でした。
先祖の御霊の喜びをひしひしと感じました。
佐原では、一度も傘をさすこともなく日が暮れ、秋の大祭は夜の部へ。

日が暮れ、提灯に火が灯り、佐原の大祭は更なるクライマックスへ。
大楠公の山車を有する東関戸区のリーダー・小森様の格別なるご配慮により、私どもの懇親会場であった「居酒屋すずき」の前にて、佐原の伝統踊り「手踊り」を祭囃子と共にご披露、更に、なんと「青葉繁れる桜井の」を祭囃子でご演奏までしてくださいました。
東関戸区の皆様のお心尽くしの温かいお気持ちを胸いっぱいに賜り、自らもまた、自身の先祖顕彰の使命を果たす為に尚一層努める事が、皆様の温かい誠にお応えする事であると、改めて強く感じました。

東関戸区の皆様、佐原の皆様、この度は、言葉で言い尽くせぬ程の感謝でいっぱいでございます。
また、来年も、必ず伺わせていただきます。
誠にありがとうございました!


第十三回楠公研究会

吉野神宮

~魂魄は常に

北闕の天を望まんと思ふ~

後醍醐天皇の御聖蹟と建武中興

平成30年9月10日(月) 14:00~16:00

第13回楠公研究会「吉野神宮~魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ~後醍醐天皇の御聖蹟と建武中興」は、今回も盛況裡に終える事ができました。
台風や大雨の影響の為にご参加が叶われない方もおられ、本日もまた大雨。
ところが、私共が吉野神宮に到着致しますと同時に雨が止み、大いなる御神威に感謝でした。

正式参拝の後は、斎館にて東宮司様からご講話を賜りました。
その後、私の方から、後醍醐天皇の建武中興の真の御理想とされた理念は何であったのか、について、お話しさせていただきました。
そして、それを紐解いていった先に、後醍醐天皇の民を思われた非常に深い大御心の存在が見えてきました。

戦後は、後醍醐天皇の正しいご評価が成されず、誤認されている方もかなり多い現状において、後醍醐天皇が真実に求めたらた尊い御理想が何であったのか、それを知る事により、大楠公を始めとした吉野朝の忠臣達の実像を正しく捉えていく事ができると確信し、上記の内容を今般の研究会の趣旨とさせていただきました。

斎館での講義の後は、近くにある村上義光公墓所へ参拝、その遺徳を偲びました。

また、勉強会の後は、ココス橿原神宮前店にて、有志による懇親会も開催、ご参加者相互のより深い交流を温めていただきました。
今回のご参加者として、楠木氏の氏神である美具来御魂神社の青谷宮司様や、楠公さんを学ぶ会の吉田会長、吉野町観光ボランティアガイドの方々もご臨席くださり、非常に密度の濃い、有意義な勉強会となりました。

大変お世話になりました東宮司様、そして、ご参加くださいました皆様に、心から篤く御礼を申し上げます。